森のなかにある塾
中学生の頃、森のなかにある塾に通っていた。
森のなか、というのは大げさかもしれない。しかし、周囲を樹木が生い茂る暗い道を通った先にある塾は、森のなかというイメージがピッタリだった。
塾の名前はすっかり忘れてしまったが、60代後半から70代くらいの怪しげな先生が一人でやっていたということは覚えている。
先生の右手は常にポケットに入っている。戦争で右手の先を無くした、という噂だったが本当かは定かではない。
授業自体は面白く分かりやすかった、という記憶がなんとなくある。難しい問題を解くと先生独自の「ノーベル賞」がもらえ、ノーベル賞を3個集めるとちょっとした商品がもらえるというシステムも嬉しかった。
そんな謎の多き先生だが、霊能者でもあったらしい。いや、霊能者とは言っていないが、まあそういう類のなにかだ。
曰く「人生でいろいろな霊に出会ってきた」と。
先生「悪霊に会ったときに唱えると最強の呪文があるので、ぜひ覚えてほしい。たいていの悪霊はこれで逃げる」
先生「『プーラジニアパーラミタ』だ」
中学生の僕は紙にメモって必死に暗記した。あとで知ったことだが、これは「般若心経」のサンスクリット語読み「プラジュニャーパーラミター」のことを言っているらしい。
最悪の悪霊登場
そんな謎な塾でのこと。先生は雑談の中でこんな話をはじめた。
先生「たいていの悪霊には勝つことができたが、自分がまったくなにもできなかった最悪の悪霊にあったことがある。もちろん呪文なんてまったく効かなかった」
いかにも怪しげな話ではあるが、本気で言っているようなので説得力がある。
それは、先生が船旅をしているときの話だそうだ。
長距離の船に乗っていたときのこと。
夜、甲板でなにやら騒ぎが起きていた。
船はいつの間にか停止しており、乗客は皆、海の上を見ている。
海の上には子供がいた。
子供が海の上を歩いているのだ。
「あの子供は取り憑かれている!」とある男が言った。
男は先生の知り合いで、悪霊対策については先生よりも詳しいとのこと。
男は言った。
「今から除霊をしよう。成功すれば子供は溺れてしまうのですぐに助けられるようにしてほしい」
船員がボートで待機したところで、男はライトを海上にいる子供に当てた。
そして、ライトを一定のリズムで点滅させつつ、呪文を唱える。
「あ!」
声を上げる乗客。
子供が突然溺れだしたのだ。
すぐに船員が子供を助けることに成功した。男は子供から悪霊を除霊できたのだ。
こうして騒ぎは収まり、船も再び動き出したのだのだが、男は先生に言った。
「この船にはとんでもない悪霊が取り憑いている。なにか対処しなければならない」
男の策は、船中に悪霊を防ぐ御札を貼ること。御札は男が作ることができるという。
ということで、先生と男は船のあらゆる場所に御札を貼った。
「今まで見たことないレベルの悪霊なので、効果があるかはわからないが……」とも言っていたらしい。
翌朝。
前日に貼った御札を確認してみると、すべての御札が裏返しになっていた。
男と先生は悪霊の強大さを改めて理解し、対処のしようがないことを悟った。
その後、船は無事に目的地に着いたらしいが、そこからの詳細な話はしてくれなかった。「いろいろなことがあり、船長は死んでしまった」とだけ教えてくれた。
以上が、先生が出会ったという最強の悪霊の話である。真実かどうかはもちろん怪しいところだが、中学生だった自分には強烈な話として記憶に残っている。
その後、塾は中学卒業と同時に行っていないので、それからどうなったかはわからない。