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日本リバーベンチャー選手権(リバベン)の話 前半

日本リバーベンチャー選手権(リバベン)が中止らしい。


インターハイすら中止になるこのご時世だし、仕方ないだろう。
リバベンとは学生主催のラフティング大会のこと。自分もかつてはリバベンに参加し、大会中止も経験した。
というわけで、覚えている範囲でリバベンのことを書き残してみたい。

アドベンチャークラブからリバベンの世界へ

新入生だった大学1年生のとき、たまたま入った部活の一つが「アドベンチャークラブ」というリバベンにも参加している部だった。アドベンチャークラブは別にラフティングを中心にしているわけではなく、ケービングやクライミング、海外探索など行ういわゆる探検部である。実際、新歓合宿は富士山麓にある洞窟探検と決まっている。創設は1966年という歴史のある部でもある。

そんなアドベンチャークラブの活動の定番だったのがリバベンへの参加。例年5月末か6月頭に水上町(現みなかみ町)の利根川の激流でリバベンがあり、大会前の4週間は毎週末練習に水上町まで通うということをしていた。

1年生のころは何度か練習に参加した程度で選手ではなかったが、2年生では選手として出場にすることになった。1995年のことである。
当時のラフトボートはオカモトのRV2000。自動排水がなく当時としても重く遅いボートである。パドルは恐ろしいことに木を削って手作りをしていた。ウェットスーツを着用し、ライフジャケットは付けていたが、かなりペラペラで「これって浮力は大丈夫なの?」というレベルだった。

毎週末、水上町までリバベンの練習へ 恐怖の飲み会

リバベンの練習のある週末は、金曜日夜に神奈川にある大学へ集まり、そこからレンタルカーの大型バンに乗って第三京浜から環八、上越自動車道を経由して水上町へ。そこから利根川の近くにあるキャンプ地でテントを張り、土曜日と日曜日は練習、日曜日夜に神奈川に帰る、ということを繰り返していた。

練習は、レンタカーのバンでラフトボートと人間を上流に運び、そこから激流を下る、とうことを何度か繰り返す。土曜日の夜は他大学も巻き込む大宴会になり、先輩方に酒を嫌というほど飲まされる。当時のお酒と言いえば激安の合成酒「酒通倶楽部」であり、酔っ払うためのツールとしてのみ存在していた。というわけで、飲み会は嫌でしょうがなかった(笑)

 

練習中の死亡事故、大会中止

そんな中、事故が起こった。

リバベンに参加予定だった社会人チームが練習中に死亡事故を起こしてしまったのだ。
激流でボートがひっくり返ってしまい、女性選手が運悪くボートの下に入ってしまい、なかなか発見されないまま時間が経過し、下流で発見後、心肺蘇生を試みたものの間に合わず亡くなってしまった、と記憶している。自分はたまたま夜に外せない用事があり、お昼に帰郷していたので事件のことはその後に聞いたのである。

1995年の第19回リバベン本大会は中止。大会当日はレスキューや心肺蘇生などの安全講習が行われることになった。また、この事件をきっかけにライフジャケットの浮力などの条件も厳しくなり、手作りの木製パドルも使うことはなくなったと記憶している。

僕がリバベンに参加できたのは翌年の1996年になる。

 

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移動のバン。ラフトボートやパドル、ライフジャケット、ウェットスーツ、キャンプ用具などを詰め込んでいる。

 

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リバベン練習中のショット。右手前が僕。左前は井上、右奥は後藤(こごと)さん、左奥は水戸さん。みなさん元気かな? 事故はこの翌日。水量がかなり多めだった。

 

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キャンプはこんな感じ。広場に各大学がテントを張る。

 

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大会中止で安全講習になったときの写真。
 

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水上での練習が始まる前のゴールデンウィークは多摩川上流で練習していた。

 

 

後編へ続く