今から23年前の夏。
大学生だった僕は、謎の格安航空会社の飛行機に乗ってアメリカへと旅立った。
完全な一人旅で、荷物は大きなザックひとつ。いわゆるバックパッカーというやつである。
時代はちょうど、猿岩石がヒッチハイク中の頃。別に猿岩石の旅のスタイルににあこがれていたわけではないが、夢中で観ていたこともまた事実だ。
そして、当時のアメリカはアトランタオリンピックが開かれていたタイミングでもあった。
古い記録なので現代の旅行者には役に立たない話だとおもうが、せっかくなのでここに残しておきたい。
旅行中に出会った登場人物は一部を除き、仮名になっている。
が、少し変えているだけなので、登場人物自身ならわかるかもしれない。可能性は極限まで低いが、登場人物の方がこのブログを読んでいたらぜひ、連絡ください! 飲みに行きましょう! 沖縄まで来てください!
ヴァリグ・ブラジル航空でロサンゼルスへ
1996年7月末、僕はヴァリグ・ブラジル航空、成田発ロサンゼルス行きのエコノミー席に座っていた。怪しげな航空会社だったが、とにかく安かったのだ(現在は倒産)。
予約は4ヶ月以上前にしていたが、格安チケットのためか座席指定はできず3列シートの真ん中。狭い。ここで到着まで10時間以上過ごさなければならない。
左の窓側の席にはおばさん、右側は男性の若者が座っている。両方日本人である。
「長時間フライトだし、話しかけて和気あいあいとしたほうがいいのかな?」と心のなかで思いつつ、1時間くらいはじっとしていた。が、何かのタイミングでおばさんとの会話がはじまった。
おばさんはパッケージツアーでリマまで行くらしい。この飛行機はブラジルの航空会社ということもあり、ロサンゼルス経由で南米まで行く便だったのだ。
そして、右側の若者とも話す。
「ワシントン大学に留学するんですよ、シアトルの。その前にバスでアメリカを見て回ろうかと」
うわー、すごいエリート!
詳しく聞くと、現在は東工大の大学院生で、留学前に1ヶ月半かけてバス旅行をするらしい。
最初の目的地は僕と同じくロサンゼルス。名前は大原さん(仮名)。
僕は「自分もグレイハウンドでいろいろ周ろうと思ってるんです! 予定は全く決めてないけど」と伝える。
グレイハウンドとは全米を網羅する長距離バスのネットワークのこと。当時は外国客向けに300ドル(約3万円)で1ヶ月乗り放題パス(アメリパス)がというチケットが販売されており、最大限に利用しようと思っていたのだ。残念ながら現在は廃止されているようだが。
「へー、最初はどこに泊まるんですか?」と大原さん。
「いや、何も決めてないんですよ、現地でなんとかしようかと」と僕。
そう。僕は初日の宿すら決めてなかった。当時はネットの情報も発達していないのにも関わらず。情報は、バックパッカーのバイブル「地球の歩き方」だけ。これで何とかなるだろうと思っていた(実際なんとかなったが)。
「それなら、自分が予約している宿行きませんか? バックパッカーに有名な宿なんですよ。ツインに切り替えてシェアすれば宿代も安くなりますし」と大原さん。
「まじっすか! ぜひおねがいします!」
ということで、初日の宿が決まった。正直最初の宿は不安ではあったのだ。これは助かる。
大原さんがヤバそうな人なら断っていたけど、すごいまともそうだし。何なら自分のほうが無計画なヤバイ人間といえるだろう。
ロサンゼルスの安宿「チェットウッドホテル」
ヴァリグ・ブラジル航空の飛行機は、無事にロサンゼルス国際空港(LAX)へ到着した。ついにアメリカ大陸へ足を踏み入れたのだ!
まずは、大原さんが予約しているという宿へ行こう。ダウンタウンのリトル・トーキョー近くにあるという。
リトル・トーキョーへの行き方は、市内バスだと1.35ドル。しかし、乗り継ぎが2回以上あるらしい。直接行けるシャトルバスだと5ドル。これはシャトルバスを選びたい。
というわけで、シャトルバスに乗ってハイウェイを通り、宿へ向かう。
街並みを眺めつつ、アメリカにいるんだ! という実感が湧く。
そして宿へ到着。
「17ドルね」と黒人の運転手は言った。
「え? 5ドルじゃないの?」
「17ドル!」
なんとシャトルバスは17ドルだった。どこで行き違いがあったのか。ここで交渉できるような英語力があるはずもなく、17ドルを渋々払う。早くも海外の洗礼を食らってしまった。12ドルのマイナス。
しかし、悪いことばかりではない。
今回泊まる「チェットウッドホテル」は一泊15ドル。かなり安い!
チェットウッドホテルは、リトル・トーキョーの近くにあるバックパッカーの宿。
エリア的にはかなり危険で、とくに南の方(5th、6thストリート)は行かないこと、と念を押された。
お世話になったのは住み込みで働いているという浜田さんという方。泊まっているのは日本人ばかり。たまに日本人以外の人が泊まろうとしても断っていたから、日本人限定なのかも知れない。
宿泊者はみんな感じがよく、長期滞在者も多い。ここに泊まりつつ、無料の英語学校に通っている人もいた。
それから、ご飯が常に炊いてあり、自由に食べて良いとのこと。キッチンで料理もできる。朝食にはパンも出してくれる。長期滞在者が多いのもうなずける。
チェットウッドホテルの場所。現在は営業してないらしい。
南の5thと6thストリートは危険なエリア。
当時のチェットウッドホテル。日本語で「ホテル」とある。
お世話になった浜田さん(右)。左の人はオーナーかな? 自信なし。
リトル・トーキョーのヤオハンデパートで宮沢りえとニアミス?
宿にチェックインしたが、時間はまだお昼。
徒歩で行けるというリトル・トーキョーへ散策しにいくことに。
リトル・トーキョーとは、戦前から存在するアメリカ最大の日本人街である。二宮尊徳像があったり、有名なお寺の別院があるほか、ヤオハンという巨大アパートもある(現在は閉店)。
ほとんどの場所で日本語が通じるが、物価は高かった。
物価が安いというメキシコ人地区にも足を踏み入れるが、何をどうやって買えばよいかわからない。とりあえず、1ドルのレモネードを買ったがもの凄い量だった。
再びリトル・トーキョーに戻り、ヤオハンデパートへ。この中は日本以外何物でもない。あとで知ったことだが、2時間ほど前に宮沢りえが来ていたらしい。なんというニアミス! メキシコ人地区に寄らなければよかった。
夕食は中国系の店で麻婆ラーメン。アメリカ最初のまともな食事がそれでいいのかと思われるかも知れないが、それでいいのである。
宿に戻ってシャワーを浴びると、時差ボケのためか睡魔に襲われてあっという間に眠ってしまった。
リトル・トーキョーの立派なお寺。どこのお寺かはメモしておらず……。
二宮尊徳像と。
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